日本で本格的に麻雀が流行したのは昭和以降のことです。それまでにも限定的な流行はありましたが、ブームと言えるほどのものではありませんでした。ただ東京麻雀会等の尽力は小さかったわけではありません。出版界も麻雀春秋を創刊するなどして盛り立てましたし、菊池寛が日本麻雀連盟の総裁に就任したことも大きな影響を与えました。雀荘も次第に各地で見られるようになり、東京で南南クラブが開かれて以降、全国各地に建てられたのです。選手権大会は国民新聞社の後援で開かれ、昭和6年には全国麻雀選手権大会が催されました。既にその頃には人口に膾炙していたのでしょう、500人を超える人が参加したと伝えられています。  こうした盛り上がりを絶やさないように多くの関連団体が作られるようになりました。それらは連携することもありましたが、ルールは各々で異なっていました。その状況を改善すべく、東京麻雀会は昭和の初期にルール協定委員会を開催しました。団体の代表者が大阪に集合し、ルールの統一を図って協議したのです。その結果、現代麻雀の原型が出来上がることになりました。例えば満貫の点数や符底が20符であることなどは、この時に策定されたのです。  ルールが統一されれば、さらに流行するのは自明の理でした。日本麻雀連盟も次第に規模が大きくなり、本郷麻雀会や昭和麻雀会と合併して組織形態も変容しました。麻雀の組織団体が大きくなるにつれて、麻雀の本質にも注意が向けられるようになりました。それは、麻雀が元々博打であったということです。つまり日本に伝来してから博打として広まったこともあり、健全なゲームとして育てていく必要性に迫られていたのです。

麻雀ブーム

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